地域に根ざしたご葬儀式場として
弊社が現在の地で、葬儀社を設立したのは1993年のことです。
武蔵浦和駅は、今でこそタワーマンションが立ち並ぶベッドタウンですが、当時の周辺は畑だらけ。それもそのはず、1985年に埼京線が開通し武蔵浦和駅ができてから8年しか経っておらず、まだ再開発の途中でした。
開業当時を知るスタッフも今はおりませんが、その頃の武蔵浦和会館の姿が写真としてだけ残っています。なんと、最初の頃は葬儀場の前に、大きな観音様が鎮座していたのです。
今でも古くからの地元の人には、「なにか怪しい宗教施設ができたのかと思った。」と、冗談交じりに言われます。
地域の皆さんに楽しんでいただけるようイベントを開催するなどして、地域密着の葬儀場として、少しずつ覚えていただけるようになりました。
▲創業当時の武蔵浦和会館
▲葬儀式場には大きな観音様が鎮座
時代とともに変化したご葬儀に対するお客様のニーズ
この地に根差し、様々なご家族のお手伝いをさせて頂きながら、葬儀業界の変遷を見てまいりました。
創業してから現在までに大きく変わったのは、葬儀に対する価値観です。バブル崩壊後の2000年頃、それまで当たり前だったお葬式。つまり会葬者が多数訪れ、とにかく派手な方向に進んでいたお葬式から、ご家族・ご親族の近しい人たちを中心とした『家族葬』へと、お客様のニーズも変化していきます。
この頃から、お葬式だけでなく、日本人の価値観が大きく変わっていきました。
右にならえで、使いまわしの白木祭壇を使用し、お葬式で変わるのは遺影写真とお坊さんのお経だけ。
といった時代から、故人の個性や人となり、家族の想いを大切にするお葬式を望む方が増えました。
使いまわしではなく、その人のために用意したお花の祭壇や、故人を会葬者に偲んで頂くためのメモリアルコーナーが生まれました。
▲故人の為だけに用意したお花の祭壇
▲メモリアルコーナー
近しい人たちを中心とした「家族葬」へ
大切な人達との最後の時間を心ゆくまで過ごして頂きたい
そこで弊社は埼玉県内でもいち早く『家族葬』の専門葬儀社へとシフトします。ご家族がゆっくりと心ゆくまで最後の時間を過ごして頂く時間。近しい人で、大切な人の悲しみを共有する空間。ご家族の癒しに繋がるお葬式こそ、本来の姿ではないかと思い、2011年の11月に、家族葬専用式場『葬送空間はるか』として生まれ変わりました。
はるかでは、自宅のリビングのように過ごして頂きたいと思っています。時には故人の側でお酒を酌み交わしたり、朝まで語り合ったりと、ご家族にゆっくりと過ごして頂きたいという思いが詰まっています。
▲リニューアルした「葬送空間はるか」
▲はるかの家族葬の様子
高齢者が安心して笑顔で暮らせる街をつくる
家族葬に特化するのと同時に、弊社ではご葬儀だけの関係ではなく、その前後を大切にしたいと考えるようになりました。年4回発行している弊社の会報誌『情報誌はるか』は15年。地域の高齢者が集えるコミュニティ『つどい場』は10年近く維持し続けています。
『つどい場』では、お連れ合いを亡くされた方が、悲しみが癒えた頃に尋ねられる場所であり、終活を考えている方が学びに来る場所であり、そして、お年寄りの笑顔が沢山生まれる場所にしたいと思っております。今では年間70回の『つどい場』を開催していて、延べで2300人もの人が集って下さるようになりました。
▲うたごえ喫茶&麻雀教室の様子
▲御用聞き&はるか情報誌
弊社は、『高齢者が安心して笑顔で暮らせる街をつくる』という理念を基に、提供を開始した『御用聞き業』などのサービスを通して、日頃の些細な困りごとの解決や、安心して日々を暮らせるための力になりたいと考えています。
まだまだ小さな会社ですが、地域に本当に必要とされる会社となるために精進し、笑顔の溢れる街づくりの一助になれればと思っております。