今日は、お葬式を行う目的・意義の②になります。
前回の記事はこちら
3、霊的な処理
人が死ぬことにより、生きているこの世では、その人と遺された者との関係が閉ざされます。したがって、亡くなった人の霊を「この世」(現世・此岸)から「あの世」(来世・彼岸)に送り出してあげる必要が出てきます。私たちは死者の霊を慰め、あの世での幸せを祈ると同時に、死者と遺された者との間に新たな関係を作り上げることを迫られます。これはこの世の営みを超えるものであるため、しばしば宗教的な儀礼を必要とします。これが葬儀式の中心をなすものです。
(碑文谷創著 表現文化社『葬儀概論』より原文のまま転載)
(碑文谷創著 表現文化社『葬儀概論』より原文のまま転載)
「彼岸」という言葉は、皆さんも聞きなじみがあるかと思います。岸の彼方。向こう側という意味ですね。
ここで豆知識!
お彼岸という風習は日本独自のものです。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。西方にあるという極楽浄土に沈んでいく太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのがお彼岸の始まりです。
真西に太陽が沈む日が春・秋と年に2回あるので、その日を彼岸にいる先祖供養の日とした訳ですね。
真西に太陽が沈む日が春・秋と年に2回あるので、その日を彼岸にいる先祖供養の日とした訳ですね。
対して、私たちがいるのは此岸。岸のこちら側になります。
霊的な処理というと、霊の存在を信じるか信じないかという話ではありません。
現実問題として人が亡くなると肉体は朽ちていきます。(前回を参照)現世で過ごすことができなくなります。
そこで昔から、亡くなった肉体をどう処理するかというのと同時に、どう向こう側へ送り出してあげるかが考えられてきました。
日本では、お葬式を仏式であげる方がほとんどです。葬式仏教だと揶揄する方も多くいらっしゃいますので、現代よりもまだ仏教の伝来していない、古代に思いを馳せて考えてみますね。
日本では、お葬式を仏式であげる方がほとんどです。葬式仏教だと揶揄する方も多くいらっしゃいますので、現代よりもまだ仏教の伝来していない、古代に思いを馳せて考えてみますね。
私の母が亡くなったとします。
長年面倒をかけて、幼いころから恩を沢山頂いた母親が、急に息をしなくなります。一切反応しなくなります。言葉をかけても返事がありません。
「ああ。母は亡くなってしまったのだ」と悟ります。
すぐに諦めて、母の身体をその辺に打ち棄ててとなるでしょうか?
例え宗教が伝来していない時代だったとしても、何か亡くなった人のためにしてあげたいと考えるのではないでしょうか。
例え宗教が伝来していない時代だったとしても、何か亡くなった人のためにしてあげたいと考えるのではないでしょうか。
葬儀概論によると、古代には『殯(もがり』という風習がありました。
人が死んでもすぐに埋葬したりせず、長い期間死者の鎮魂をしていたそうです。死者に食事を用意し、嘆き悲しみ、歌い踊って死者の霊を慰める儀礼が行われていました。
人が死んでもすぐに埋葬したりせず、長い期間死者の鎮魂をしていたそうです。死者に食事を用意し、嘆き悲しみ、歌い踊って死者の霊を慰める儀礼が行われていました。
さらに遡ると、アリエスというフランスの歴史学者が、ネアンデルタール人が死者たちを葬った共同墓地の紹介がされています。それは4万年以上前のものです。同じく北イラクの遺跡では、ネアンデルタール人の墓地の人骨の周囲から花粉が発見されました。このことは、死者を埋葬する際に花を添えていたことを示します。
人間は死者を埋葬する唯一の動物です。4万年前からDNAに刻まれているのです。
しかし、科学が発達する以前は、死者を大切にするという考え方と、死を穢れとして恐怖する考え方、この2つの考え方が併存していました。
これらの両方の感情を慰めるために、古来から様々な方法が取られてきました。そして、江戸時代を境に、仏教による葬送というのが大衆にも一般化しました。
『葬式仏教」と揶揄されることが多い日本のお葬式ですが、通夜・葬儀、初七日~四十九日、一周忌、三回忌という一連の流れは、家族が死別の悲しみから乗り越え、新たな関係を築くために、非常に考えられていて優れた構成だと私は思います。
この辺りは、4つ目の目的である「悲嘆の処理」にも通じますので、次回に改めて述べたいと思います。
代表 小杉英介