志村けんさんが亡くなりました…


私たち世代にとっては、まさにヒーロー…


誰も志村さんと呼ぶ人などいなくて、みんな愛着を込めて「志村」と呼び捨てで呼んでました。
「志村後ろ~!」が懐かしい。
「8時だよ。全員集合」が終わった後も、俺たちひょうきん族派と、カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビ派に別れ、もちろん私はカトケン派でした。
PCエンジンのゲームもやったなぁ…などなど、思い返すとキリがないです。

志村さんの葬儀

ニュースや新聞にも出ていましたが、志村さんほどのスターでも、亡くなった後は家族が対面することもなく、病院から火葬場に直行。その際も同行できず、お骨上げもできなかったようです。
自宅へ戻ってきた時には「お骨」となってです。
当然、コロナウイルスの患者の場合は、入院中も面会はできませんので、家族は死に目どころか遺体も目にすることないまま、「お骨」となった故人を受け入れないとなりません。

お葬式の意義

お葬式の意義でも触れましたが、葬儀というのは、ただ単にご遺体を処理するのではなく、様々なな感情の処理をするためにあります。
亡くなった方に触れたり、声をかけたり、皆で思い出を共有したりと、時間をかけて少しずつ、大切な人の『死』を受け入れていくのです。
志村さんのご家族は、その時間を全てコロナウイルスに奪われてしまいました。
もちろん、お骨になった後に、きちんとしたお別れをされるのでしょうが、現在の東京都の指針では、ご遺体と面会できないほど、恐ろしい病気なのです。
葬儀に携わる者として、若い人に伝えたい。
コロナウイルスが、高齢者もしくは免疫の落ちている方にとってどれほど恐ろしいのか。最後のお別れさえも満足にできないということ。
そのことが、ただでさえ最大の悲しみにあるご遺族を、どれだけ悲しませ続けるのかということを。

志村さんが遺したもの

このタイミングで、志村さんほどの大スターが亡くなったというのは、何かしらの意味があるのではないでしょうか。
『志村けんさんが、私たちに事の重要性を教えてくれている』
影響力が強く、老若男女誰からも愛されていた志村さんが、身をもって伝えてくれている。
小池知事が同様なことを発言して炎上していましたが、同じことを思った方は大勢いっらしゃいますよね?
ここで有名な言葉を引用します。

「人間は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、人々に忘れられた時」
心を揺さぶられる名言です。
来年の命日辺りには
「コロナの脅威をなんとか乗り越えられたけど、若い人の自粛が進んだのって、志村さんきっかけだよね。」
なんて語られている日が来ることを願います。
命日には、「バカ殿」や「ドリフ」が放送され、お茶の間に笑顔を届けているでしょう。
志村さんは、3年後10年後はもちろん、私含め全員が亡くなっているであろう、100年先まで子供のまた子供の世代にまで残り続けるかもしれません。
代表の小杉でした
葬送空間はるか公式HP