終活カウンセラーの古屋 尚美がお話を伺いました。
「はるかメンバーズ」
押山様
押山さんは、昨年5月、「町会の資料を届けてくるね」と自転車で出かけたご主人が、2時間半後、帰らぬ人になったという、とても辛い経験をされました。はるかのことは、終活の勉強を始めた時、お友達から聞いて知っていたそうです。
お通夜の晩、娘や孫達と夜通し主人をお守りできた
「葬儀社を紹介しましょうか」という病院からの問いかけに、頭は真っ白だったけど「頼む葬儀社は決まっています」とキッパリ言えた。「何が何だか分からないパニック状態の時は、人間涙も出ないのね」と押山さんはおっしゃいます。
無言の帰宅をしたご主人と、三日半一緒に過ごしました。はるかで執り行われた通夜、葬儀には、大勢の方々が駆け付けてくださいました。ご主人は、町会以外にも幅広い分野でご活躍されていました。「弔問に来ていただいた皆さんから色々な話を聞く中で、主人がどんな方と関わり、どんな活動をしていたかを知ることが出来たの。皆さんに来ていただけて良かった。」と振り返ります。
式の中で一番印象に残っているのは、お孫さんのピアノ演奏。独学で練習してきたピアノをおじいちゃんのために弾きたいと、急きょ式場に電子ピアノを用意しました。「お通夜の晩、娘や孫達と夜通し主人をお守りできたのも良かった」と押山さん。家族水入らずで過ごす最後の晩は、悲しみの中にも和やかで、あたたかい時間です。
毎日を楽しく過ごすことが一番の供養
葬儀の後は、数カ月間、何もやる気が起きず、家に閉じこもる日が続いたという押山さん。でもある日、「私、このままではダメになる」と自らを奮い立たせ外に出たそうです。メソメソしていても主人は喜ばない。「女性も自立しなければいけないよ」がご主人の口癖でした。趣味のシャンソンと朗読ボランティアを再開。今年から、はるかの麻雀教室にも通い始めました。ご主人の死を経験したことで「死」が怖くなくなった、と言います。
押山さんの朝は、仏壇にお茶を供え、「昨日も無事過ごせました。ありがとう。今日も一日よろしくね。」というご主人への挨拶から始まります。「いつも夫に見守られている感じ。毎日を楽しく過ごすことが一番の供養だと思うの。はるかにも支えられているのよ。」と語ってくださった押山さんは、すっかり麻雀にハマったようで、「つどい場はるか」の常連さんになってくれました。
この記事は、はるかメンバーズにお届けしている『情報誌 はるか 平成29年 盛夏号』の内容を再編集して掲載しています。つどい場はるかには、大切な人との死別を経験した沢山のメンバーズさんが集まります。誰かと話がしたいなと思ったら、お気軽に遊びに来て下さいね。つどい場はるかについてはこちらのページをご覧ください。